【アフリカの国紹介】タンザニアその3 ~インドとの繋がり編~
タンザニアにいた時、インドを思い出す時は、たくさんありました。
なぜなら、
タンザニアには多くのインド人がいるからです。
自分が協力隊のとして過ごした街はmbeyaという地方都市でした。
ここは、日本人は自分含めて3人しかいない街でした。
、、、がこんな街でもインド人はたくさんいました。
Muhindini (インド人街という意味です)という区画があったくらいです。
それくらい、インドはタンザニアに進出しています。
というより、アフリカ中にいると思います。
印僑という人たちの存在です。
タンザニアにいた時、
自分の行きつけの散髪屋はインド人がカットしてくれました。
(タンザニアの人の頭髪は短髪でちぢれ毛なので、
ウチラみたいな髪を切るのにあんま慣れてません。。
ので、いつもインド人の頼んでました。)
mbeyaの街中で、外国からの輸入食品が手に入る店も大抵、インド人がやってました。
デリー、グルガオンに日本の食料が手に入る「やまとや」があるように、
Mbeyaにもインド食料品がありました。
そこではHardiram売ってました(笑)
Mbeyaの街の印喬はグジュラート出身の人が多かったです。
しかも1900年代の中後期頃に移住してきたようです。
なので、親戚はインドにいるらしく、たまにインドに帰ったりしていました。
他にも食文化でインドとのつながり感じました。
タンザニアの人もチャパティを食べます。味は違いますが、形は似てます。
(マサラ風味がなくなったチャパティ。あとちょっとモチっとしてます)
そして、サモサも食べます。
サイズ、中に入っているものは違いますが、形状は一緒です。
タンザニアの人は「サンブーサ」と呼んでいます。
(タンザニアのサモサは中に肉のミンチが入っていてうまいです)
そして、紅茶は「チャイ」です!!!
これもタンザニアの朝、みんなが飲みます。
あと、ガリ=車、キタブ=本。といった単語も同じです。
これは恐らく、起源がアラビア語だからだと思いますが、、
mbeyaの街の中心部にあるホテル「Mbeya hotel」。
ここは仕事でmbeyaに来る日本人が泊まる高級なホテルです。
このホテルのレストランはインド料理です。
自分も何度もここに通って、バターチキン、ナンを食べました(笑)
他にも、
とある町工場を訪れたら、インド製の機械いっぱい置いてありました。
おそらく、日本の機械は高くて買えないけど、インドの機械なら買える
というの状況なのでしょう。
タンザニアの経済界では、インド人が大きな力をもっているという話も聞きました。
とある看板工場を訪れたら、社長、幹部はみんなインド人でした。
インドはアフリカに注目してるようです。
逆もあって、
タンザニアの学生がインドに勉強に来ています。
1年程前に、アキシャルダムでタンザニアの学生に会いました。
その人たちは Noidaの大学で勉強していると言ってました。
タンザニア人が、病気で大きな手術を受ける時、
お金も持ってる人はインドで手術を受けたりもします。
と言ったようにタンザニアとインドのつながりは色々とあります。
タンザニアだけでなく、アフリカとインドのつながりは強いだと思いますが、
タンザニアにいた時、日本人がほとんど進出していないアフリカで、
ここまで進出しているインドのすごさ、を感じました。
旧植民地と旧支配国という微妙な関係にある欧米、
ものすごい勢いで進出しているが、その強引なやり方、質に不満を持たれてる中国
と違い、インドは丁度いい関係をアフリカと持てるのでは、、と思ってます。
(日本もですが!)
もっともっとつながりが強くなることで期待しています。
ではではー。