緑の街。インパール3。インパール作戦
こんにちは。
インパールその3です。
インパールは日本にとっては縁のある街。です。
"インパール作戦"を行った場所です。
第2次世界大戦時、日本がインパールへ侵攻し、戦闘が起きました。
この作戦が有名なのは、
補給もなく、無茶な作戦が行なわれ、
多くの戦死者と、多くの病死、餓死者を出したためです。
●餓死者
●栄養不足⇒抵抗力down⇒病気感染による病死者
●仲間が襲われ死亡(食料を取られたそうです)
●ワニ、ハゲタカ、タイガーに襲われ死亡。
と衝撃の死亡をした方々がたくさんいます。
日本人9万人近く動員された中で、
3万人が戦死、3万人が病死、餓死と言われてます。
行方不明も多く。まだ1万人以上の方の遺体が見つかってません。
このインパール作戦ゆえに日本人にとって縁のある街となってます。
慰霊のため、日本人も多く訪れてるそうです。
今回はこの作戦関連地を周りました。
この関連地を見るため、ガイドをお願いしました。
このアラマバムさん、
インパール作戦の遺品や遺骨等を探してます。
発掘作業をし、様々な作戦の関連品を保存してます。
とってもインパール作戦にくわしく、色々話がきけました。
インパール作戦では多くの戦闘地や白骨街道など、亡くなった方の縁の地があります。
とても全部は見切れないません。
なので、今回はその中で
-Shangshak
-Red hill
-インパール平和資料館
の三つを回りました。
●Shangshak
大きな戦闘があった地の1つです。
多くの方が亡くなった場所で、慰霊碑が立っていました。
さらに、日本人の名前を入れた慰霊碑も建っていました。
これは日本人とともに戦闘が参加した現地の人が立てたそうです。
この方が実際に戦闘に関わった方。まだご存命。90才だそうです。
この方、日本軍の軍刀も大切に保管してます。
●Red hill
ここも多くの方が亡くなった場所です。
1970年頃、戦闘に参加された方がこの地を訪れて、
ここで亡くなった戦友の骨を発掘して、日本へ持ち帰ったそうです。
(何処に埋めたかなど、ちゃんと覚えていたそうです)
すごい記憶力、、と思いました。
●平和資料館
ここは、、時間がなくて、じっくり見る時間なく、駆け足で見て回っただけですが、
インパールの作戦の記録とインパールの地の人々の生活のことが展示されてます。
ガイドをお願いしたこのアバラムさんはホント色々なことを知っており、
たくさん話が聞けて良かったです。
正直、このインパールに行くこと決めるまで、
全くこの作戦のことは知らなかったです。
でも日本から遠いこのインドの地で、
日本が非常に深く関わった出来事あったなんて驚きでした。
しれて良かったです。
ではでは。